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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)10941号 判決 1984年5月28日

原告 茂木敬子

右法定代理人親権者 茂木良三

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 小林健二

被告 高木美典

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告茂木敬子に対し金一九〇〇万円、原告藤本勝三、同藤本タケ及び同藤本辰雄に対し各金二〇〇万円、及び右各金員に対する昭和四九年九月二六日から支払いずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告茂木敬子(以下「原告敬子」という。)は訴外亡茂木日出子(以下「日出子」という。)の長女、原告藤本勝三(以下「原告勝三」という。)はその父、原告藤本タケ(以下「原告タケ」という。)はその母、原告藤本辰雄(以下「原告辰雄」という。)はその兄であり、被告は高木産婦人科医院を経営する医師である。

2  事件の概要

日出子は、原告敬子を懐妊し、出産に備えて、昭和四九年二月一四日以降、被告の経営する高木産婦人科医院に通院し、被告の定期診断を受けていたが、同年九月二五日、分娩のために同医院に入院し、同日午前一一時四五分、原告敬子を出産した。しかし、分娩後も出血が続き、同日午後四時三五分ころ、出血多量により同医院で死亡した。

3  日出子の死因

日出子の死因は、分娩の際に子宮頸管左側壁のほぼ全般にわたり外子宮口から子宮腔へ向かって走る大きな裂創を生じ、右子宮頸管裂創により失血したことによるものである。

4  被告の過失―被告の不法行為責任

日出子の死亡は、以下に記載する被告の過失に基因するものである。

(一) 日出子の子宮頸管裂傷の発見及び処置の遅延と患部縫合による止血措置の不完全さ

被告は、分娩後の午後〇時一〇分、突然約五〇〇CCに及ぶ多量の出血をみた際、内診して子宮頸管より内部にある子宮体部が破裂していないことを確認しているのであるから、子宮頸管の裂傷を発見することは容易であったにもかかわらず、子宮頸管裂傷の発見が相当に遅れ、また、発見後縫合せずに長時間放置したし、止血のために講じた縫合処理も日出子が失血死したことから明らかなように不完全なものであり、更に、医師としては他の有効な止血方法も講ずべきであったにもかかわらず、これを怠った。

(二) 輸血用血液の用意の不備と輸血方法の不適切

医師は医療行為を施すに際しては、常に最悪の事態をも想定してこれにあたるべき注意義務があり、したがって、妊婦の分娩に臨む医師としては、妊婦の血液型を調べ、体質を診断し、輸血用保存血を準備するなど不慮の出血に備うべき業務上の注意義務があるのにもかかわらず、被告は漫然としてこれを怠り、日出子が大量出血するに及び、はじめて保存血を血液供給事業団に発注しており、そのため、被告がようやく輸血の措置を講じたのは、日出子が大量出血してから四〇分も経過した後のことであり、また、死亡時において日出子の心臓内に血液がほとんど貯溜していなかったことからすれば、被告の講じた輸血措置ははなはだ不適切なものであった。

(三) 日出子は初産であり、ほぼ巨大児である原告敬子(出生時の体重三八〇〇キログラム)を分娩したのであるから、被告は分娩後引き続き不測の事態に備え、十分な配慮を尽くすべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠った過失がある。

5  不完全履行――被告の債務不履行責任

日出子と被告との間には入院時において、日出子の体質・生理上の特徴を充分に把握し、分娩に際し、日出子の生理的機能の経過に応じて対処的加療の必要性の有無を観察し、必要のある場合にはその医学上の標準的基準に適合した適切な対処的療法を選択し、これを施術し、もって安全に胎児を娩出させ、あわせて妊婦の生命と健康を維持すべく善良な管理者の注意をもって診療行為をなすことを内容とする準委任契約が成立したものであるところ、被告は右契約に反して4記載のとおり善良な管理者の注意義務を怠り、日出子を死亡せしめた。

6  損害

原告らが日出子の死亡により被った損害は次のとおりである。

(一) 逸失利益     一六〇〇万円

日出子は訴外茂木良三と婚姻後、主婦として稼働していたのであるから、家政婦雇用賃金相当額を稼得していた。そして、家政婦の一日あたりの賃金は平均金五〇〇〇円で、その実働日数は一月あたり二五日であり、また、日出子の生活費は一月あたり二万五〇〇〇円であったから、その年間純収入は一二〇万円を下らない。日出子は昭和二六年一月二三日生まれの死亡当時満二三歳の女子であったから、その稼働可能年数は四〇年であり、これに対する年五分の割合によるホフマン式計算方法による係数は二一・六四三である。したがって、日出子の逸失利益は、一二〇万円に二一・六四三を乗じた二五九七万一六〇〇円となる。

原告敬子は、日出子の死亡により右逸失利益の三分の二相当額を相続したが、原告敬子は右のうち、一六〇〇万円の支払を求める。

(二) 慰藉料

本件事故による日出子の死亡により長女である原告敬子はもちろん、両親である原告勝三、タケ及び実兄である原告辰雄は甚大な精神的苦痛を負い、今もなお心痛にさいなまれており、右苦痛を慰藉するためには、それぞれ左記の金額が相当である。

(1) 原告敬子      三〇〇万円

(2) その余の原告   各二〇〇万円

よって、原告らは、被告に対し、不法行為又は債務不履行に基づき、それぞれ請求の趣旨記載の損害賠償金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、被告が高木産婦人科医院を経営する医師であることは認め、その余の事実は知らない。

2  同2のうち、日出子の死因は否認し、その余の事実は認める。

3  同3は否認する。

4  同4(一)のうち、被告が分娩後の午後〇時一五分突然約五〇〇CCの多量の出血を認め、直ちに内診し、子宮が破裂していないことを確認したことは認め、その余は否認ないし争う。

5  同4(二)のうち、被告が日出子の大量出血後に保存血を血液供給事業団に発注したことは認め、その余は否認ないし争う。

6  同4(三)のうち、日出子が初産であり、原告敬子の出産時の体重が三八〇〇キログラムであったことは認め、その余は争う。

7  同5及び6はいずれも争う。

三  被告の主張

1  本件診療経過

(一) 初診 昭和四九年二月一四日

既往症 特別なものなし。既往妊娠なし。

初診時所見 体格中等度、栄養良、身長一六一センチメートル、体重五五キログラム

主訴 無月経

初潮 一二歳、月経整調二八日型

終経 昭和四八年一二月一三日より六日間

現症 終経後無月経が続き、つわり症状(吐き気)があり、ときどき少量の血性帯下あり。

内診所見 子宮前傾前屈、大きさ増大し硬度柔かく、子宮付属器に異常抵抗なく、子宮膣部はリビード着色を認め、膣分泌物は白色である。

梅毒血清反応陰性、血色素量七八パーセント、血液型A型Rh(+)

診断 妊娠三か月、分娩予定日昭和四九年九月二〇日

(二) 昭和四九年三月一二日再診、子宮は大鵞卵大、柔軟、胸部レントゲン所見で肺野及び心臓陰影に異常を認めなかった。妊娠四か月。

(三) 同年四月一五日、体重五八・五キログラム、胸部理学的所見に異常なし。血圧一〇四―三〇mm/Hg、尿蛋白(±)、子宮底一九センチメートル(臍下一横指)胎児部分の触知困難、臍恥骨結合の中央付近で、ドップラにより児心音を聴取、下肢に浮腫なし。

同年五月四日、血痰が出たと来院したが、鼻出血によるものと考えられる。

同月一三日、体重六一・五キログラム、血圧一二二―七〇mm/Hg、尿蛋白(±)浮腫(-)子宮底二二センチメートル、胎児部分は触知し得るも胎位不明、血色素量七六パーセント(ザーリー)、妊娠六か月。

同年六月一四日、体重六五キログラム、血圧一〇〇―五四mm/Hg、尿蛋白(±)、浮腫(-)、子宮底二二センチメートル、腹囲九二センチメートル、第一頭位、妊娠七か月。

同月二八日、体重六五・五キログラム、血圧一二〇―七〇mm/Hg、第一頭位、尿蛋白(-)、浮腫(-)。

同年七月九日、体重六七キログラム、血圧一二〇―五〇mm/Hg、尿蛋(-)、浮腫(-)、血色素量七二パーセント(ザーリー)、児は第一頭位異常なし。

同月二〇日、血圧一二四―七〇mm/Hg、下肢に浮腫を認める。妊娠八か月(末)。

同月三〇日、血圧一二〇―六四mm/Hg、尿蛋白(±)、浮腫(-)、妊娠九か月(初)。

同年八月九日、体重六九キログラム、血圧一〇八―六四mm/Hg、尿蛋白(+)、浮腫(-)。

同月二〇日、体重七〇キログラム、血圧一〇二―五五mm/Hg、尿蛋白(+)、浮腫(-)。

同月三一日、体重七一・五キログラム、血圧一二〇―五八mm/Hg、尿蛋白(+)、浮腫(+)。

同年九月八日、帯下感(水様)あり来院。子宮膣部に靡爛があり、これに触れると出血するが、児頭は骨盤入口に固定し破水のような所見はない。

同月一〇日、体重七一・五キログラム、血圧一二二―八〇mm/Hg、子宮底四一センチメートル、腹囲九六センチメートル、尿蛋白(-)、下肢の浮腫増強してきたためベハイド(利尿剤)二錠四日分を投与する。妊娠一〇か月(中)。

同月二〇日(分娩予定日)、体重七三キログラム、血圧一二〇―七八mm/Hg、尿蛋白(-)、浮腫(+)、子宮底四〇センチメートル、腹囲九六センチメートル、第一頭位、未だ分娩開始の徴候は認められない。再びベハイド四日分を投与する。

以上の如く妊娠経過は概ね順調であり、妊娠末期に尿中に蛋白を認め、下肢の浮腫が著明となり、妊娠中毒症状が現われ、利尿剤の投与を行った。

(四) 同月二五日、午前五時三〇分ころ、自宅で破水(前期破水)し、同六時ころ入院した。羊水の漏出が少量であるため、そのまま経過をみているうちに同九時ころより陣痛(発作三〇秒間歇五分)が開始した。同九時二〇分、子宮口二横脂開大、胎胞の形成なく直接先進児頭を触れる。児頭は骨盤入口に固定し、矢状縫合は骨盤横径に一致、分泌物は血性。

同一一時、子宮口は二横指開大で、陣痛発作は次第に強くなる(発作一分間歇二分)。

同一一時四〇分、血圧一二〇―七八mm/Hg、児頭が早くも排臨状態となり、怒責が加わる。右肘静脈より五パーセントブドウ糖の点滴を始める。児頭が大きい模様なので会陰に正中切開を加えるや、極めて速かに同一一時四五分、第一前方後頭位で三八〇〇グラムの女児を娩出した。児娩出後直ちにメテルギン(子宮収縮剤)を静脈注射した。

同一一時四八分、臍帯の拍動が停止した。

同一一時五〇分、臍帯結紮を切断する。

同一一時五五分、胎盤を殆ど完全な状態で娩出した。

午後〇時一〇分、突然多量の出血をみる(約五〇〇CC)。間髪を入れず内診し、内手を子宮膣に入れ、内容を除去するに、ほとんど凝血で脱落膜の遺残もなく、子宮破裂も認められず、頸管裂傷も明らかでなかった。しかし、出血の状態から第一に頸管裂傷が疑われるのでゼコン鉗子を用いて両側子宮頸部を挟み、引き続きカットグウトで子宮頸部の両側を縫合し、膣壁の裂傷も縫合した。この間大動脈圧迫、子宮の輪状摩擦、氷罨法を行い、止血につとめ、トランサミン(止血剤)、メテルギンの注射を行った。

頸管縫合術中、既に血液が黒ずみ、チアノーゼの状態で酸素吸入を行う。血圧一〇〇―六〇mm/Hg。献血供給事業団に直ちに輸血用血液を搬入するように電話で依頼する。同時に岸病院の岸医師に応援をお願いする。

同〇時三〇分ころ、血圧九〇―六〇mm/Hg、脈拍一〇〇、意識が混濁する、子宮膣にガーゼタンポンを行い、カルニゲン、エホチール(強心剤)を注射し、右肘静脈より五パーセントブドウ糖の点滴を行う。

同〇時五〇分、保存血五本(一〇〇〇CC)到着。右大伏在静脈を切開露出し、カテーテルを入れ、ローターを用いて急速に六〇〇CCを輸血した。右肘静脈よりヘスパンダー、トランサミン、スパチーム(子宮収縮剤)、ライゴスチン(同上)、エホチールを注射した。

同一時ころ、岸医師到着。引き続き輸血及び輸液を行い、ビタカン(強心剤)、エホチール、ライゴスチンを注射しながら、全身状態の改善を待つ。血液の流出はなお少量続く。

同二時、一旦意識を取り戻し、熱いと訴える。意識が戻ったところで岸医師が自分の病院に手術予定があるので一度帰ってすませてくると帰りかけたところ、再び日出子の状態が悪化し、意識が混濁し、チアノーゼが現われたので、岸医師はとどまり、大村産婦人科の大村医師の応援を依頼するとともに日出子を手術室に移し、開腹手術の準備をした。血圧八O―五〇mm/Hg、呼吸浅表気道確保のため、気管内挿管し人工呼吸を行いながら、ハルトマン、エホチール、カルニゲン、スパチーム等の注射を行う。血液第二回目七本到着。

同二時三〇分、大村医師到着。血圧測定不能。左大伏在静脈を切開し、輸血をする。ビタカン、テラプチク(呼吸促進剤)、エホチールの注射を行う。

同三時、右大伏在静脈に入れたカテーテルが凝血でつまり再び入れなおす。ビタカン、エホチール、ノルアドレナリン(強心剤)、テラプチクを注射。このころ第三回目の血液が十本届く。

同三時四〇分、意識なく、右大腿動脈の拍動を触れる。カルニゲン、ビタカン、エホチール、ノルアドレナリンを注射。

同三時五〇分、心停止。直ちに胸廓を開き、手を入れて心マッサージを行う。エホチール、ビタカン、ノルアドレナリン、テラプチク、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)、プレドニン(同上)一〇〇mgを注射。

同四時三五分、瞳孔散大、瞳孔反射なく、死亡を確認する。

同五時、王子警察に死亡事故発生の届出を行う。

同年九月二六日、監察医により検屍、原因不明で司法解剖に付することになる。

(五) 診療経過は以上のとおりで、死因は当初急速に起こったチアノーゼ、意識混濁ショック症状から分娩ショックを考えたが、出血の状態よりまず頸管裂傷を疑い、確診する余裕のないまま頸管縫合を行うと同時に弛緩出血に対する止血措置も施した。

多量の出血をみたとたん、これらの事を考え、直ちにこれらに対する処置を行ったが、効を奏しなかった。

2  日出子の死因

日出子には司法解剖に際して、子宮頸管裂傷が認められたが、裂傷部位からの出血のみでは日出子のような急速死亡は考え難く、弛緩出血あるいは羊水栓塞などを併発して死亡したものと推定され、そして、これらの症状が発生すれば救命は極めて困難である。

3  被告らに過失ありとの主張に対する反論

(一) 請求原因4(一)の主張に対して

被告は、異常出血を見て第一に頸管裂傷を疑って直ちに止血処置にとりかかったのであって、その発見が遅れたり、その処置が遅れたりした事実はない。

また、分娩時の頸管は急速に拡大するために多数の裂傷ができるものであって、余程大きな裂傷でない限り、瞬時にして裂傷を確認できるものではない。本件の場合、出血の状況から十分時間をかけて確診するより、第一に頸管裂傷が疑われたので直ちに止血処置にとりかからざるをえなかったものであって、頸管裂傷に気付かなかったものではない。

(二) 請求原因4(二)の主張に対して

分娩時出血は、予想できる場合もあるが、突発的に起こる場合がほとんどであり、また、常時各医療機関に輸血用血液を常備しておくことは不可能である。産科の輸血の適応は、外科手術の場合等とちがって、突発的に起こるので、東京母性保護協会と血液供給センターとの話し合いで、産科医は、分娩予定の妊婦の家族に必ず預献血をさせるから、血液供給センターは産科医から輸血の必要があって血液を要請された場合には、優先的に間に合わせるという内容の申し合わせをして不意の輸血の必要に備えているのである。

以上のとおりであるので、分娩に際して必ず血液の準備をなすが如きは、血液供給制度の実情を全く無視した主張といわなければならない。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告の主張1の(一)ないし(三)の事実は認める。

同(四)の事実のうち、冒頭から、出産当日の午後〇時一〇分突然約五〇〇CCの出血をみたとの部分までの事実は認めるが、その余の事実は知らない。

同(五)の事実は知らない。

2  被告の主張2の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者

請求原因1のうち、被告が高木産婦人科医院を経営する医師であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、その余の請求原因1記載の事実(原告らの身分関係)を認めることができる。

二  日出子の本件出産前後の経過

1  請求原因2(事件の概要)、被告の主張1の(一)ないし(三)の事実、同じく被告の主張1の(四)のうち、冒頭から、出産当日の午後〇時一〇分突然約五〇〇CCの出血をみたとの部分までの事実については、いずれも当事者間に争いがない。

2  そして、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  日出子の分娩終了後の午後〇時一〇分ころ、突然産道から多量の出血があったので、被告は、胎盤又は脱落膜の遺残を疑い、子宮内の用手による掻爬を試みたが、遺残らしいものは発見できず、子宮破裂も認められなかった。また、子宮頸管裂傷についても内診所見では明確に確認はできなかったが、急速分娩であったことと娩出された児が巨大児に近かったことから、被告は、子宮頸管裂傷ありと判断し、子宮口を手でつかみ止血を図ったうえで、子宮頸管から膣内蓋部までと膣壁裂傷部分及び会陰正中部を縫合した。しかしながら、右縫合によっても出血は完全には止まらず、じわじわと出血が続いていた。

(二)  この縫合中に、流出する血液が酸欠により黒ずみはじめ、午後〇時三〇分ころには血圧が九〇~六〇mm/Hg、脈拍は一〇〇となり、日出子は意識が混濁し、チアノーゼ(青色症。血液の酸素が欠乏し、皮膚が青紫色になる状態。)を呈したため、酸素吸入を開始する一方、被告は財団法人献血供給事業団城北出張所(以下「献血供給事業団」という。)に電話でA型保存血液二〇〇CC五本の緊急供給を求め、左手静脈にブドウ糖、電解質製剤等の点滴を開始した。

(三)  午後〇時四〇分ころには先に発注した血液が届いたので、同〇時五〇分ころから右膝関節静脈を切開して、血液六〇〇CCの急速輸血を開始し、あわせて、右手静脈からの輸液も行った。また、日出子の出血の原因については弛緩性出血も疑われたため、被告は子宮に対する輸状摩擦及び子宮収縮剤のライゴスチン、スパチーム、止血剤のトランサミンの注射を行い、更に子宮口にガーゼタンポンを詰めた。

(四)  被告は手術の必要も慮り、近隣の外科医である岸医師に来援を求めたところ、岸医師は午後一時ころ到着したので、輸出及び輸液を継続し、日出子の経過を観察しながら全身状態の回復を待った。輸血については、同一時三〇分ころ、A型保存血液二〇〇CC七本を献血供給事業団に追加発注し、同五〇分ころ、その納入を受け、順次輸血に使用した。

(五)  午後二時ころ、日出子は一旦意識を回復し、熱感を訴えたが、間もなく、日出子は再び意識が混濁し、チアノーゼを呈し、血圧は八〇―五〇mm/Hgとなった。そのため、開腹による子宮摘出手術も検討し、日出子を手術室に移し、気管内に挿管して人工呼吸を行い、また、エホチール、カルニゲンを注射し、全身状態の回復を待った。同二時三〇分ころに産婦人科の大村医師が来援した。

(六)  午後二時四〇分ころには血圧は測定不能となり、呼吸も不整になった。そのため、右足からの輸血に加え、左足静脈を切開し、輸血を開始した。一方、右足静脈に挿入され輸血に供されていたカテーテルが栓塞したため、再挿置した。同三時ころ、A型保存血液二〇〇CC一〇本を献血供給事業団に追加発注し、同二〇分ころ、その納入を受けた。

(七)  午後三時五〇分ころ、心停止を来たしたため、直ちに開胸し、心臓マッサージを行う一方、ビタカン、ノルアドレナリン、エホチール、テラプチク、プレドニン、ソルコーテスを注射した。右処置によっても、日出子は蘇生せず、同四時三五分、瞳孔が散大し、瞳孔反射が消失し、死亡が確認された。

以上のとおり認められる。

三  日出子の死因

1  《証拠省略》によれば、東京大学医学部法医学教室の医師三木敏行及び同三沢章吾が実施した日出子の死体解剖において、次の各所見が得られたことが認められる。

(一)  日出子の死体には著明な貧血があり、失血以外には死亡の原因となったり死因を検討するうえに特に役立つ所見はなかった。日出子の胸腺は大部分脂肪組織化し、ごく僅かに実質をとどめるだけであり、舌根部のリンパ装置、口蓋偏桃、腸間膜リンパ節、腸管粘膜のリンパ装置の発育はほぼ尋常であった。肝臓や甲状腺にリンパ球の浸潤はなく、心臓の大きさは尋常で、大動脈の幅が狭いということもなく、日出子はいわゆる胸腺リンパ体質の所有者ではなかった。また、副腎皮質のリボイド量はほぼ尋常で、肝にも脂肪変性はなく、日出子が外来の侵襲に対し特に抵抗が弱いことを示すような身体的条件は発見されなかった。

それゆえ、日出子の死因は失血と判断される。

(二)  出血の原因として第一に考えられるのは、子宮頸管裂創である。

日出子の内性器を検すると、子宮は、長さ二三センチメートル、幅(底部)一二センチメートル―(頸部)八センチメートル、厚さ(底部)二センチメートル―(頸部)一・八センチメートル、硬さはほぼ一様で特に硬い箇所はなかった。外子宮口から子宮膣部にかけては粘膜面が一般に暗赤色で、外子宮口の左側及び右側にそれぞれ縫合が施されていた。左側の縫合は全体として雀卵大の範囲にわたり、不規則で、数か所で縫合され、縫合は固く創面は接着していた。糸を切取って検査すると、外子宮口左端三時の方向から、子宮頸膣部を左方に走る創があり、膣側ではその左端は膣左円蓋部に達し、子宮頸管側では外子宮口左端より頸管長軸の方向に子宮底に向かい内方に長さ約二横脂あり、この両端を連ねる線をほぼ創底とする。創縁はやや軟化し性状を詳かにすることは困難であった。創壁は全体として平であるが、細かな凹凸があり、不整で、創底に近く架橋状組織片がある。創壁に血管の断端を確認できないが、創壁は暗赤色で、広く出血がある。創端の性状も軟化し詳かでないが、披裂状の様にみえた。この創は膣部から一部膣上部に達する。右側の縫合糸を除いて検査すると特に創を発見できない。子宮を開くと、内腔に血液の貯留はなく、内面には血液が少し付着し、内面は一般に暗赤色で、頸部は色調が濃く、粘膜を欠き、粘膜下層を露出し、その表面は粗、胎盤の遺残はなかった。特に血管の破綻等の異常は認められなかった。

(三)  出血の原因として第二に考えられるのは、弛緩性出血である。

日出子に弛緩性出血があったかどうかは、解剖所見からは明らかでなかったが、その可能性は否定することはできなかった。

2  《証拠省略》によれば、弛緩性出血に関する昭和四五年ころの医学上の知見は次のようなものであることが認められる。

(一)  弛緩性出血は、まだ本質的原因が不明であるが、臨床的に素因又は原因と考えられているものとして、妊娠中については、母体の全身疾患及び体質異常、子宮筋の発育不全及び奇形子宮、子宮壁の過度伸長(羊水過多症、巨大児等の場合。筋線維の長期にわたる過度伸長による疲労のための筋の収縮及び退縮障害が起こるものとされる。)、子宮筋層の疾患、晩期妊娠中毒症(殊に高血圧症。筋細胞の変性と間質の浮腫のため、筋の収縮及び退縮不全のためである。)、血液凝固障害等があり、分娩中については、微弱陣痛、遷延分娩、急速遂娩、胎盤癒着による剥離障害及び胎盤附着の異常、麻酔等があげられている。

(二)  胎盤娩出後の弛緩性出血の処置としては、出血が徐々で持続する場合は腹壁上から子宮底を輪状に摩擦する、出血が強く大量である場合は腹部大動脈の用手圧迫法を行うと同時に後葉製剤又は麦角剤の静注と子宮底の輪状摩擦を行う、導尿、下腹部に氷嚢をあてる、子宮腔内の凝血等を排除する、以上の方法で止血困難なときは、効果は技術の巧拙と子宮の反応力にもより、仕方が悪いと危険もあるが、子宮腔強タンポンを行うこともある、更に最後の手段としては、時期を失せず開腹し、子宮全剔除術又は膣上部切断術を行うか、一般状態が悪化し非可逆性のショック状態に陥ってからの手術は母体を失う危険が大である、とされる。

(三)  しかして、胎盤娩出の前後を問わず、弛緩性出血の際には、以上の諸々の措置を講じながら、なるべく早くから酸素吸入、輸液、輸血を行うべきで、出血量が五〇〇CCを超えるようになったら、補液と血管確保の意味から五パーセント葡萄糖液の点滴静注を早くからしておくのがよいとされる。

3  右1、2の事実に、前記二で認定した日出子の出産前後の経過、《証拠省略》を総合すると、日出子の直接死因は失血による心停止であるが、その間接的原因は子宮頸管裂傷及び弛緩性出血であり、子宮頸管裂傷及び弛緩性出血によって生じた出血性ショックにより、血液の凝固が不良となる血管内凝固症候群を惹起し、これが直接死因をもたらしたものと推認される。

この点について、原告は、日出子の死因は分娩の際に生じた子宮頸管裂傷による失血であると主張し、《証拠省略》によれば、日出子の子宮頸管の裂創は、それが縫合されずに放置されていたとすれば死亡に結びつく程の出血をもたらしたものであると認められるけれども、前記二で認定したとおり、右裂創は固く縫合され、創面は密着していたのであって、被告がした右縫合ののち、日出子が僅かな時間とはいえ意識を回復した点からみると、右縫合は止血措置として一定の効果を有したものということができるから、子宮頸管裂傷による失血のみを死因とするのは正当ではなく、《証拠省略》によれば、解剖時の日出子の子宮は、出産終了後の子宮としてもやや大きいことが認められるし、胎児が大きいことによる子宮壁の過度伸長、晩期妊娠中毒症及び急速遂娩がいずれも弛緩性出血の一因と考えられていることは前認定のとおりであるから、こうした事実によれば、日出子の失血死については子宮頸管裂傷のみならず弛緩性出血も間接的原因であると認めるのが相当であって、原告の主張は採用し得ない。

四  被告の責任

1  原告は、まず、子宮頸管裂傷の発見及び処置の遅延と患部縫合等による止血措置の不完全さを被告の過失として主張するので、この点について判断する。

被告が子宮頸管裂傷を確定診断できなかったことはさきに認定したとおりであるが、前記二で認定したとおり、被告は日出子が異常出血をするや、子宮頸管裂傷を疑い、子宮頸管等を縫合するなど直ちに止血措置を講じているのであるから、その発見及び処置が遅延したということができないし、縫合による止血措置の効果としては、被告の縫合及び輸血の結果、日出子が一旦は意識を回復し、失血によるショック状態の改善がみられたこと前記認定のとおりであって、右事実によれば、被告のとった止血措置は効を奏しているといわなければならないので、被告の止血措置が不完全であったとはいい難く、他に被告の止血措置が不相当であったと認めるに足りる証拠はない。

2  次に原告は、被告の過失として輸血用血液の用意の不備と輸血着手時期の遅延を指摘するので、この点について判断する。

《証拠省略》によれば、本件当時、輸血用の保存血液は献血によってまかなわれていたが、必要量が十分に確保される常況にはなかったこと、そのため、東京母性保護協会は、突発的に必要の生じる産科の輸血に備え、血液供給センターと協議し、産科医が分娩予定の妊婦の家族に必ず預血又は献血をさせる一方、血液供給センターは産科医から輸血の必要があって血液を要請された場合には優先的に供給するということを申し合わせており、これに則り、被告は産婦の家族に献血を促していたこと、被告もこの慣行により従来から献血供給事業団の保存血供給を受けており、緊急の必要がある場合には要請後一五分程度で入手できていたこと、本件当時も午後〇時三〇分ころ保存血一〇〇〇CCの供給を求めてから一〇分余の後には血液が到着し、午後〇時五〇分ころから急速輸血を開始していること、また、保存血の寿命は約二〇日しかなく、十分な設備を備えない開業医にはその保存は困難を伴うものであるうえ、血液には多くの種類があり、すべての医療機関がすべての患者に適合する血液を常置することは極めて難しく、これらの事情から本件当時輸血用血液を常備していたのは大学付属病院及び一部の総合病院にすぎなかったことがそれぞれ認められ、こうした事実によれば、原告の主張は献血制度を無視したものといわなければならないし、被告は輸血用血液を常備しなくてもこれに代わる血液供給手段を確保していたのであるから、本件当時の医療事情のもとでいわゆる開業医である産科医師として負う輸血用血液確保についての業務上の義務を怠っていたものということはできない。

次に輸血着手時期の適否について検討するに、《証拠省略》によれば、輸血は失血に対して有効な手段であるけれども、反面、激症肝炎に罹患する等の危険を伴うものであるため、出血があるからといって、軽々にこれを行うべきではなく、輸血に踏み切るかどうかは単純に一定の出血量を目途として決することなく、血圧、脈膊その他の生理的反応をも考慮して決すべきであるが、一つの基準としてみるならば、輸液により血圧を確保しながら、(一)出血量一〇〇〇CC以上、又は収縮期血圧一〇〇mm/Hg以下で輸血の準備を行い、(二)出血量一五〇〇CC以上、又は収縮期血圧八〇mm/Hg以下の場合に輸血を開始するのが相当であり、本件においては、収縮期血圧九〇mm/Hgの午後〇時三〇分から、収縮期血圧八〇mm/Hgの午後二時までの間において、収縮期血圧が八〇mm/Hg以下を初めて示した時刻に輸血を開始すべきであったと認められるところ、前記二で認定したとおり、被告は、午後〇時三〇分ころ、輸液を開始するとともに輸血液の発注をし、同〇時五〇分ころには急速輸血を行っているのであるから、輸血を開始するのが遅延したとは認め難く、また、同二時ころには、輸血及び止血措置が効を奏し、日出子は一旦意識を回復しているのであるから、日出子の死亡は、輸血着手時期の遅延によるものではなく、子宮頸管裂傷及び弛緩性出血から結果した血管内凝固症候群によるものというべきであって、輸血方法が不適切であったとの原告の主張は採用できない。

3  更に原告は、日出子は初産であり、ほぼ巨大児である原告敬子を分娩したのであるから、被告は分娩後引き続き不測の事態に備え、十分な配慮を尽くすべき注意義務があるのにこれを怠ったと主張するけれども、被告がこうした配慮を欠いたと認めるに足りる証拠はない。

五  前項で説示したところによれば、被告が本件診療行為につき原告ら主張の善良な管理者の注意義務を怠ったということができないこともまた明らかというべきである。

六  以上の事実によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 稲守孝夫 裁判官 小川克介 裁判官深見敏正は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 稲守孝夫)

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